鬼のこと

投稿日: 2017年2月3日  カテゴリー: 未分類

今日は節分。鬼について思うこと。

いま気になるのが心に棲む邪気。なんかわからん苛立ちとか、妬み、あれは鬼やね。鬼。

苦手でした。無邪気なひと。元気で明るいとかとまた違って、今までの人生で鬼が生まれるほど虐げられることも、力で意思を曲げさせられることもなかった、しあわせな人です。人が心に鬼を持つなんて想像すらできないひと。

鬼が存在しないから、鬼に負けないように必死に戦ってるひとのことを、知らない。

そんな無邪気な人が現れると

もの凄い戦いになる。

自分の鬼が大暴れするわけです。「あいつを引きずり込め」

その誘惑に、負けないように必死で押さえつけ戦いながら笑っていることを、想像すらできないんですよね。無邪気な人って。

(無邪気って楽しそう。こっちは必死で戦ってるのに。もう無理…誰か助けて…)

そこで自分の鬼が囁く『他人の苦しみに気づいてないよ、あの人。気づかせろ。引きずり落とせ!』

鬼が自分を助けてくれる気がするんです。わかってもらえる気がする。

でも無邪気な人に気づかれてないのは鬼で、それによって苦しいのも鬼で、自分ではないんちゃうか?鬼と手を組んで引きずり落とされるのは自分です。

鬼の口車に乗せられたら自分も鬼になる。鬼の口車をパンクさせて、踏み倒して先へ進まなければ。たとえこの戦いに、誰も気づいてなくても、神様は先で待ってくれている。

鬼を押さえて神を仰ぐ。そんな感じです。

しかし邪気を侮れません。邪気はずる賢く逃げ足も速い。だから鬼がクローズアップされる節分はチャンスなんです。

自分の鬼と戦う人たち、張り切って豆をまきましょう。自分の鬼を狙い撃ち。

鬼は~そと~鬼は~そと!

                                                      

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